俺の親と俺
親は好き? そう聞かれると、憎いという。抹殺したいほどだったからだ。
両人とも俺の人生をめちゃくちゃにした。勝手に産んでおいて、勝手に俺を生きづらい人間に仕立て上げた。
てめえらだけの都合で、俺の人生を破滅一歩手前まで追い込んだ。
もし、育て方に犯罪が適用されるとしたら、息子にトラウマを与え続けたあいつらは実刑ものだ。
あのままのラインで行ったら、いつか俺は爆発をしていたかもしれない。
シャレではないし、ブラックジョークでもない。
抹殺したいと思い続けていた。あいつらがいなくなればすべてが収まるのに、とも思っていた。
恐怖政治のもと、ずっと俺は育ってきた。20を過ぎても、あいつらは俺を影響下におこうとした。
2人兄弟の長男だったが、弟はこともあろうに、さほど負の影響をあいつらから受けずに育った。
年の離れた弟と言うこともあるし、また苦しみを味わっていた俺を見て、弟はうまく回避する術を身につけたのだろう。
といっても、神経症的な要素はもっていると見ているが。
しかし、俺は徹底的に痛めつけられた。まさかに憎くてやっていたわけではないだろう。
すべては、あいつらのゆがんだ人生で得られた精神構造が起こさせていたわけだが。
愛を与えていても、対象である本人に愛が感じられなければ、それは愛じゃない。
だが、 愛のためにやっているんだ、と心底思いこまれていては、本人はたまったものじゃない。
感謝もできないし、突き放すこともできない。ただ俺は心をぎゅうぎゅうに締め上げられて、また自分でも心を締め付けていた。
その結果、ノイローゼという形で大爆発して、生きるか死ぬかの危機的状況にまで落ち込んだ。
一日一日が苦しいだけじゃなく、一番ひどいときには毎秒毎秒が地獄だった。
次々と襲ってくる断続的な不安と、それに伴う心身症で、心だけでなく、肉体的にもぼろぼろに朽ち果てていった。
思わず発狂したくなるぐらい追いつめられていた。
精神的な不安と恐怖、いらいら感に苦しめられたが、内臓の心身症が一番苦しかった。父親が家に一緒にいると言うだけで、すぐに体調が悪化した。
安らぎたいのに、俺の居場所はどこにもなかった。
親という呪縛に、あいつらの前に出ると、がちがちに緊張してしまっていた。
強権的独裁者に生殺与奪権を握られていた哀れな子羊は、当時(物心ついた5歳頃から26まで)、すべての命令に絶対的に服従していた。
大嫌いな親だったが、悔しいことに刃向かえなかったし、刃向かおうという意志すらまったく起こらなかった。
蛇ににらまれたカエル状態で、あいつらに冷たい目で見られたら、がちがちに体が緊張し、固くなってしまった。
もう反射神経だった。有無をいわさずに症状が起きた。
冷たい目が、あいつらのデフォルトなのだから、家にいるすべての時間が凍り付いていた。
部屋に閉じこもっていたときでも、あいつらの物音が聞こえると(夫婦の話し声は聞こえなかった)、ビクビクしていたのを思い出す。
ノックをしないでいきなり入ってくる。
俺宛の手紙を勝手に開けて見る。
引き出しや部屋の隅々までしらみつぶしに調べ上げられる。
エロ本やビデオを隠していても、必ず見つけ出された。
まるで不潔なやってはいけないことのように俺をののしった。
情けないのは自分のプライバシーを親に侵されていながら、まるで自分が悪いかのように思いこんでいたことだ。
毒親にすっかり毒されていたのだ。
母親は普段の冷笑的な態度とは別に、時々ヒステリーを起こす。
これが怖かった。
ヒステリーを起こした時、俺をねちねちと責めあげる。
あるいはめたくそに罵る。
これじゃ、心がどんどん萎縮していくのは当たり前だ。
授業参観の時の、にこやかな友達やクラスメートの母親の笑顔に一つだけ、冷たい眼があった。
何か恥ずかしいことをしたら、ただじゃすまない、という目ににらまれ、なんかい授業参観日に失敗してしまったか。
本を読むとき頭が真っ白になり、つっかえつっかえになってしまったり、いつもはできていた問題も全く解けなくなってしまった。
普段の実力の十分の一以下にまで落ち込んだ。
自己嫌悪した。
本番には全く弱かった。
人前に出したくない母親だったが、逆にしゃしゃり出て、担任に文句を言ったり、一方的だった。
その一方で人の評価を気にする人だった。
俺の門限が少しで遅れると、友達の親にすぐ電話で文句を言った。
すごく恥ずかしかった。
一分たりとも門限から遅れたら許さなかった。
玄関に入れてもらえなかったり、入れてもらっても、必ずはたかれた。
だから俺はとても几帳面になり、冒険も何もできなくなった。
いかにトラブルを回避するか、そればっかり考えていた。
というよりは、おびえ続けていた。
あいつらが俺にしたしつけは厳しくして、強い間違わない子供にすると言う大義名分をもっていた。
物心つかない頃から、徹底的にそれをやられた。
愛情は少ない方が、強い子供になる、と思ったのかどうか知らないが、憎しみでやっているとしか思えない育て方だった。
俺はひょっとしたら、生まれてきてはいけなかったのでは? という罪の意識にさいなまれた。
存在してはいけないとずっと思い続けていた。
いてはいけないから、いつもビクビクしていたし、何かトラブルがあるたびにどんどん萎縮していった。
世の中で自由に羽ばたいていける人は、トラブルがあったら、どんどん経験値を増して強くなっていくという。
今なら俺もそれをできる自信があると言えるが、あいつらの身勝手な法の下では、強くなれるものも、強くなれなかった。
だから、あいつらの目的とまったく逆の不安にさいなまれた何かあったら、まっさきに傷つく人間ができあがった。
当然、あいつらは(特に父親)不満でしょうがない。
あれだけ熱心にした子育てが、全く逆の子供に育ってしまったのだから。
唯一あいつらが成功したことは、ぐれないようにしたことだけ。
不良になるには、それなりのリスクがいる。
でも俺はそのリスクすら避けて安全に生きていた。
だからぐれる勇気もなかった。
リスクを避けるから、当然、経験値が積み上げることができなかった。
それを父親は軟弱ものと決めつけた。
「できそこないめ」と何度言われたか。
「おまえをこんな風に育てたつもりはない」ともいわれた。
どれも俺の心と存在価値を否定する言葉ばかり浴びせかけた。
そのくせ、あいつらはそれをいえば、たくましくなると思っている。
雑草のようにふみつけていれば、強くなると思っていたのか?
そんな狭い視野で、さかんに俺を踏み続けた。
しかし、雑草でもなく、高貴な花でもない。
ただの弱い根っこと茎を持った貧弱な草だった。
肥料(愛情)もくれないのに、どうやって強くなれというのだ。
俺を襲った断続的な不安で一番苦しかったのは、存在してはいけないという恐怖だった。
そちらのほうだけはすくすく育ち、あいつらもそれに関しては、積極的に肥料を与え続けた。
存在しちゃいけない→自信が持てない→なおさら存在しちゃいけないと思う→さらに自信が喪失、を思春期から永遠ループで繰り返した。
もうなくなるだけの自信も底をつくと、自信のなさだけが積み重なっていた。
すべてを懐疑的に、いつも知恵を振り絞りながら、いかに傷つかないように、いかに自分の底を見られないようにするか、そればかり考えて行動力もなくなっていた。
そのせいで、いい思いなんか子供の時からしたことがなかった。
悪い思いをしないようにだけ考えていつも生きていたのに、悪い思いばかり味わった。
笑えないブラックジョークを俺は地でいっていた。
子供は褒めて育てた方がすくすく育つという統計があるらしいが、賞賛されたことはないし、ぎりぎりに絞り上げて、成長するように強要された。
どうせ、親も褒められたことがなかったのだろう。
褒め方を知らなかったのだろう。
かわいそうな人たちだ(と今思う)。
俺は負の連鎖を切りたい。
だから、あいつらとは同じ育て方をしない。
表向きは健全な家庭というように取り繕っていたかもしれない。
しかし実態は「隠れ機能不全家族」だ!
親の生まれ育った家庭も「隠れ機能不全家族」かもしれない。
そうして子供はアダルトチルドレンになる。その連鎖はやるせない
俺は機能不全家族という連鎖を断ち切ろう
。
すべてを反面教師にしてこれから生きていく。
それが、あの人たちへの俺からの言葉だ。
アダルトチルドレンになった俺だが、自分の子供だけはアダルトチルドレンにはしまい。 |